八郎よ、もしこの時、お前が真実を母に話していたならば、お前は梟雄とはならずに済んだかもしれない。 (「無想の抜刀術」)
ときに己の娘をも利用し、謀略によってのし上がったことから、一般に梟雄と評価される宇喜多直家。 本作では、梟雄としてしか生きていけなかった直家の苛烈な生き様、悲哀が描かれます。
本書は、六つの小篇で構成されており、それぞれ異なる人物の視点から直家が描かれます。
そのため、読み進めるほど直家の新たな面が見えてきて、単に非情というだけではない、深みのある人物であることが分かってきます。
視点人物を含む直家に関わる人物たちの存在感も大きく、歴史小説としてはもちろん、一つの群像劇としても楽しめました。
文章は勢いがあって明快。
それでいて、おどろおどろしい、独特の空気感があって個人的には好みです。
読んでいて情景が映像として浮かんでくるというのもありますが、場面場面で感じられる「臭い」が印象的です。
直家を取り巻く不穏な腐臭や血生臭さ、戦場の泥臭さ、人々の汗の臭い、それから梅の花の香り。
各小篇で紡がれた物語が最終篇で集約され、きれいに終着するのは秀逸です。
巻末の高校生直木賞全国大会のルポも読み応えがあります。
以下、ネタバレ注意。
「宇喜多の捨て嫁」
直家の四女於葉から見た父を描いた小篇。
姉たちの婚家を滅ぼすことを厭わぬ父は、於葉からはひどく冷酷にうつります。
捨て駒ならぬ「捨て嫁」。
於葉自身もまた後藤勝基のもとへ嫁ぐことになりますが、めでたいばかりではありません。
やがて宇喜多家と後藤家が刃を交えることとなり、於葉は父に打ち勝つ決意を固めますが……。
おそらく、世間一般の宇喜多直家像に近しい視点で描かれた小篇。
恥ずかしながら本書を読むまで宇喜多直家という武将を知らなかったのですが、最初のこの話で権謀術数を駆使して戦国時代を生き抜いた冷酷な武将としての宇喜多直家が描かれるため、その後の話にすっと入り込むことができました。
「無想の抜刀術」
直家の生い立ち。
主家である浦上家に祖父を殺され、母とともに落ち延び、戦国の荒波に翻弄される幼少期から青年期にかけてが描かれます。
視点が異なるだけで、直家の印象がここまで変わるとはと驚かされました。
たとえ相手が大切な母であっても、自分に刃を向けるものに無意識に刃を向けてしまう「無想の抜刀術」はほとんど呪いのよう。
「貝あわせ」
直家の人生にもこんなに穏やかなときがあったのだなと思わせる前半。
直家もまた、家族を愛し、正道を重んじる一人の若者として描かれます。
舅である中山信正の料理へのこだわりに閉口しながらも、舅から料理の仕方を教わるシーンは微笑ましくすらあります。
それだけに、主君の浦上宗景の思惑により、中山信正を殺すよう命じられる後半は読んでいて心が痛くなる。
直家に対し、「戦う」ことではなく、「謀」によって勝つことを教えたのが、最初に謀殺される中山信正その人であるのがなんとも皮肉です。
直家や中山信正が情に厚い人物として描かれるだけに、浦上宗景の酷薄さが際立ちます。
直家に富の自害を伝える際の浦上宗景の描写にはぞっとします。
いつのまにか浦上宗景の顔が、陽から陰に変わっている。 寡黙と厭世を愛する表情に。 (「貝あわせ」)
「ぐひんの鼻」
浦上宗景は良くも悪くも目的に対してストイックというか、手段を選ばないというか、ひたすらに合理的。
非情が生む幻想によって人を支配するというのは、なるほど酷薄な浦上宗景らしい生き方だなぁと。
しかし、結局は直家よりも自身が優れているという慢心。
ぐひん(天狗)の鼻と呼ばれる岩が崩れ落ちて自滅するのはなんとも皮肉。
直家は舅に教わったように、「戦い」ではなく、まさしく「謀」(浦上宗景の支配力を削ぐことによって自滅に追い込む)によって富の仇を討ったのが印象的。
「松之丞の一太刀」
「無想の抜刀術」を持つ直家と、自分の意思で大切な人のために刀を振るう松之丞の対比。
松之丞の覚悟と、最期に直家にあわせ貝を渡すシーンがひたすらに切ない。
「五逆の鼓」
直家の最期。
死してやっと尻はすの腐臭が止まり、五逆の罪(母殺し)から解放されます。
鼓への執着ゆえに同じく五逆の罪を背負った江見河原源五郎が、直家の母との巡り会いによって鼓の境地に達するのが印象的。
母から受けた刃に始まり、巡り廻って死の間際の梅の花の香り(母による許し、救い)に終着する流れがとても好きです。
「梅の香りがする。 そうか、誰かが梅の花を持ってきてくれたのか」 (「五逆の鼓」)